Sample Company

本社営業所(川棚) TEL:0956-82-3151
波佐見営業所 TEL:0956-85-4444

観光周遊・貸切タクシー

波佐見町観光周遊タクシー

波佐見町内を自由に回れる!時間の有効活用!
タクシーを2時間貸切。(延長可)
通常8,880円が今なら3,600円で乗れます。(延長1時間ごと1,800円)
※波佐見町内のみを周遊できるタクシーです。
 川棚駅・有田駅へのお迎えや、送迎はできません。

詳しくはこちらをご覧ください

有田波佐見 乗合TAXI「有田波佐見物語」

佐賀県有田町・長崎県波佐見町2つのやきもののまちをはしごして楽しむ
有田駅前から波佐見町中尾山を繋ぐ乗合タクシーが運行します。
毎日運行 1日8往復
【1日乗車券】
大人1,000円
小学生500円
※要事前予約

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川棚町 観光スポット

入場料無料で遊べるテーマパーク「くじゃく園」

広々と高いドーム型ケージの中で約 200羽のインドくじゃくが飛びかい、七色に映えるしゅ玉の羽で訪れる人を魅了します。ドーム隣のケージには真くじゃくと白くじゃくもいます。
くじゃくの哀調に満ちた鳴き声が、人々の胸に忘れ難い印象を残します。ほかにもかわいい動物たちが、たくさんいます。休日は家族連れで賑わっています♪
お問い合わせ
川棚町観光協会 TEL:0956-83-3210 または TEL:0956-82-2661

キャンプ場

キャンプ場は大崎自然公園内に3箇所あります。
常設テント、テント持込エリア、炊事棟、トイレ、シャワー室など充実したキャンプ設備を完備しています。
大崎自然公園内の「海水浴場」や「くじゃく園」など、たくさんのレジャー施設で遊ぶ事が出来ます。
お問い合わせ
川棚町観光協会 TEL:0956-83-3210 または TEL:0956-82-2661

海水浴場

白い砂と遠浅の海が自慢。カヌーやウィンドサーフィンも楽しめます。
お問い合わせ
川棚町観光協会 TEL:0956-83-3210 または TEL:0956-82-2661

大崎温泉

泉質は、ナトリウムやカルシウムの塩化物を多く含んだ天然温泉。リウマチ、神経痛、筋肉痛、関節痛などに効くとされています。旅のつかれは温泉で癒しましょう。

虚空蔵山

森林浴を楽しみながら空までのネーチャートレイル
毎年3月に、子供からお年寄りまで、数多くの人々が参加する登山会が行われており、みんな汗をかきながら山登りを楽しんでいます。

川棚町 戦時遺構めぐり

魚雷発射試験場跡

この地はむかし、要塞地帯だった。
長崎県大村湾に面した川棚町。
ここは、1918年に開設された魚雷発射試験場跡をはじめ、海軍工廠、魚雷艇訓練所など太平洋当時、旧海軍の重要な軍事施設がありました。
魚雷発射試験場では、佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の最終検査や調整などをしていたのではないかといわれています。また、当時魚雷発射の状況を記録・確認するための観測所跡も残っており、ここで合格となった魚雷のみ、船で佐世保鎮守府に送られていたそうです。

特攻殉国の碑

この海で、みんな命を賭けていた。
日々、悪化する太平洋戦争の戦局を挽回するため魚雷艇の訓練所として1944年横須賀から移転開設されましたが、その年の9月頃より、特攻艇(震洋)要員の養成をはじめ、回天(魚雷)、伏竜(機雷)、蛟竜(小型潜水艇)などの要員養成にも力を入れていました。
そして、この海で全国から志願した数万人の若者が日々訓練を受け、出陣し、3511名が死亡。ここにある特攻殉国の碑は、その殉国の碑は、その瞬刻者全員の氏名が刻銘されています。

特攻殉国の碑資料館

特攻殉国の碑には、資料館が併設されており、当時の純連の様子がわかる貴重な資料・写真が閲覧できます。
※通常は閉館しているため、事前のご連絡が必要です。
[連絡先]TEL:0956-82-4411

川棚海軍工廠跡

この場所で、つくり続けた、航空魚雷。
太平洋戦争開戦直後の1942年、佐世保海軍工廠の川棚分工廠を百津地区に設置し、九一式航空魚雷工場と言われていましたが、戦局が厳しくなると、その工廠も追われ、石木地区にトンネルを掘削、新たな工場として、3交代制24時間休むことなく、中学生や女学生までも航空魚雷部品を作り続けていました。本工場での全体組立や片島での発射試験などにも、動員学徒や挺身隊員たちが尽力しました。

城山公園(歴史と平和の塔)

別名「工廠の見える丘公園」とも呼ばれ、工廠跡地を一望できる高台にあります。戦争の歴史を伝え残す「歴史と平和の塔」と慰霊の塔が建てられ、戦争の歴史を絶対に忘れてはならないという強い思いがここに残っています。

半耐爆型建造物

魚雷の主な部品を製造・格納していたといわれる建物。 奥行きは約100m、(現在は石垣で塞がれている)当時は縦に3本つながっており、現在は歩いて行くと2本目まで確認することができます。